2022年01月13日

「カンバセーション・ウィズ・フレンズ」

サリー・ルーニーの小説は、「Normal peaple」然り、自分の心めいたものの中の、もうここは全部開け尽くしたな、と過信していた場所を開けられるような気がする。
どちらも友情の物語と言っていいと思う。
「友情」という言葉にも、「愛情」と同じように「情」がある。その情動を、できうる限り冷静に見つめている。
所有するという行為についても書かれている。持てる者、持たざる者。
全ての人間はだれかを所有することはできないけれど、主人公たちは、情そのものも、なるだけ「所有」せずに、自分から離して見ているように思える。そして自分から離して見たそれは、紛れもない自分のカケラなのだった。それが美しいかどうかは別にして。
(山崎まどかさんが、ボビとフランシスがお互いを呼び合うyouを、「君」と訳しているのが、すごく嬉しかった。)

 メリッサは歯を見せて笑った。それに若さと美しさの持つ効力は侮れないよ、彼女は言った。
 その二つって猛烈なまでの不幸を呼ぶ組み合わせじゃないんですか、私は言った。
 あなたは二十一歳でしょ、メリッサは言う。猛烈に不幸で当たり前じゃない。

あまりに非凡な、

新潮2月号に、小池水音さんが「夜が明ける」の書評を寄せてくださっています。
今作だけではなく、過去作も含め、真摯にみつめてくださったその軌跡を、誠実な文章で表現してくださっています。胸が熱くなりました。
同誌には、村田沙耶香さんの「平凡な殺意」という、非凡な、あまりに非凡な、凄まじいエッセイも掲載されています。必読です。