サリー・ルーニーの小説は、「Normal peaple」然り、自分の心めいたものの中の、もうここは全部開け尽くしたな、と過信していた場所を開けられるような気がする。
どちらも友情の物語と言っていいと思う。
「友情」という言葉にも、「愛情」と同じように「情」がある。その情動を、できうる限り冷静に見つめている。
所有するという行為についても書かれている。持てる者、持たざる者。
全ての人間はだれかを所有することはできないけれど、主人公たちは、情そのものも、なるだけ「所有」せずに、自分から離して見ているように思える。そして自分から離して見たそれは、紛れもない自分のカケラなのだった。それが美しいかどうかは別にして。
(山崎まどかさんが、ボビとフランシスがお互いを呼び合うyouを、「君」と訳しているのが、すごく嬉しかった。)
メリッサは歯を見せて笑った。それに若さと美しさの持つ効力は侮れないよ、彼女は言った。
その二つって猛烈なまでの不幸を呼ぶ組み合わせじゃないんですか、私は言った。
あなたは二十一歳でしょ、メリッサは言う。猛烈に不幸で当たり前じゃない。