2021年11月02日

ミルクとコロナ

山崎ナオコーラさんが、10月30日付の東京新聞、中日新聞で、「夜が明ける」を紹介してくれました!!!
いつもながら、ナオコーラさんしか出せない切れ味、本当にハッとさせられます。
そして、白岩玄さんが、新調「波」で、とても誠実で体温のある書評を書いてくださいました。
https://www.shinchosha.co.jp/book/307043/
本当に嬉しい。
山崎ナオコーラさんと白岩玄さんは、文藝賞の同期です。
お二人が往復で書かれたエッセイ集「ミルクとコロナ」、素晴らしいです。
https://www.kawade.co.jp/sp/isbn/9784309030005/
この年齢でしか、そしてもちろん、この時代にしか書けなかった透明で真摯な様々。

2021年11月06日

ウォーターダンサー

タナハシ ・コーツの初小説、初に全てを注ぎ込むのはきっと作家の常だけど、タナハシ ・コーツが奴隷制を、「過酷」と表現するには生ぬるいその世界から必死で手を伸ばす人々を、そして、自由の世界からまだ囚われている人たちの方へ手を伸ばした人々を書いた、だけで胸が熱くなります。
コルソン・ホワイトヘッドの「地下鉄道」に尊敬を捧げながら、でも、タナハシ ・コーツにしか書けない神話的な地下鉄道、は、全ての小説に課される「本当にこうでなければいけなかったのか」「この物語を書くのに最も適した人間は著者だったのか」を、鮮やかにクリアしていて、やはり、胸が熱くなります。

”そんなとき、僕はただ自分に言い聞かせた。これこそが自分の真実にならなければいけない。僕は自由だ、ということが。”

2021年11月10日

解説をふたつ

長嶋有さんの小説「もう生まれなくない」が文庫になりました。
文庫化に当たって、解説を書かせていただきました。
長嶋有作品のファンとして、とても光栄です!
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000355987
帯の言葉にもしていただきましたが、(特に現代において)長嶋有の小説がいかに誠実なレジスタンス小説であるか、ということを書きました。

アーザル・ナフィーシーの「テヘランでロリータを読む」も文庫化です。
こちらにも、解説を書かせていただきました。
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309467436/
これは絶対に文庫化されなければならない作品、つまり、もっともっとたくさんの人に読んでもらわなければならない作品です。想像する、という行為について、この小説を著作「i」の中で引用させていただきました。というより、とてもとても重要な位置を占めています。

「読者よ、どうか私たちの姿を想像していただきたい。そうでなければ、私たちは本当には存在しない。歳月と政治の暴虐に抗して、私たち自身さえ時に想像する勇気がなかった私たちの姿を想像してほしい。もっとも私的な、秘密の瞬間に、人生のごくありふれた場面にいる私たちを、音楽を聴き、恋に落ち、木陰の道を歩いている私たちを、あるいは、テヘランで『ロリータ』を読んでいる私たちを。それから、今度はそれらすべてを奪われ、地下に追いやられた私たちを想像してほしい。」

2021年11月17日

ファットガールをめぐる13の物語

モナ・アワド「ファットガールをめぐる13の物語」
「女の子」として、「女性」として生きてきたなら、一度は誰かの視線に身体を刺され、血を流したことががあるはずだ。
自分の身体が「世界の望む美しさ」から外れている、というそれだけで、私たちは傷を負わされ、血が流れる。
この物語の場合、それは「サイズ」によってなされる。
そしてより悲しいことに、「世界の望む美しさ」を手に入れたとしても、やはり傷は癒えず、血は流れ続ける。
私たちは何を求めているの? 何を欲している??
そしてそれらは、本当に私たちが求め、欲しているものなの??
私たちはたった一人なのに、たった一人になることを、こんなに怖がっている。

「あなたはあなたらしくきれいなんだから」それを聞くたびにわたしは微笑む。ひとつしかないボートで彼女が行ってしまい、ひとり無人島にとり残されたような気分になる。わたしらしくきれいなんて嫌、ひとりは無理だ。そう伝えたい。でもだいたい何も言わない。せいぜい、ありがとうと一言返すくらいだ。

2021年11月18日

ねむりたりない

「ねむりたりない」櫻井朋子
手を伸ばしても、あと少しだけ届かない
輪郭は見えても、本当の部分は見えない
言葉にしても、全てを言い切ることが出来ない
溢れた思いを全て集めても、足りない
あらゆる場所の、時間の、誰かの、何かの、「あと少し」にまつわる言葉たちが、やはりほとんど透明な存在としてそこにある いる ほとんど透明だからと言って見過ごされ、捨てられ、なきものにされてきたものたち、に、こうして言葉を捧げることはまったく美しい徒労であり、命を与えることである

夜の蜘蛛は殺してよいと言う人は果たして誰に許されたのか