色々思うところありまして、著作を電子書籍化させていただくことにしました。
今月から随時配信されてゆくと思います。
たくさんの方に読んでいただけますように。
たくさんの方の隣にいれますように。
2021年12月19日
報知映画祭 アニメ作品賞
「漁港の肉子ちゃん」が、報知映画祭でアニメ作品賞を受賞しました!!
本当に素晴らしい、とても嬉しいです。
海外の映画祭でも、次々と公開が決まっているようです。
さんまさんや渡辺監督、声優の皆さん、スタッフの方々のおかげです。
良かったね、肉子ちゃん!!!
本当に素晴らしい、とても嬉しいです。
海外の映画祭でも、次々と公開が決まっているようです。
さんまさんや渡辺監督、声優の皆さん、スタッフの方々のおかげです。
良かったね、肉子ちゃん!!!
2021年12月22日
夜が明ける ご紹介くださってありがとう
「夜が明ける」様々な媒体で紹介くださっています。
後手後手で、すでに手に入らない媒体もありますが(ごめんなさい)、届いています。
本当に本当に嬉しいです。
「ダ・ヴィンチ」にて、河村道子さんにインタビューしていただきました。
河村さんとは、長いおつきあいです。いつものように、真摯に読み込んできてくださって、本当に感謝です。
写真は、バンクーバー在住の山崎智世さんにお願いしました。素敵な写真をありがとう。
「読売中高生新聞」「朝日新聞」にも、丁寧なインタビューを掲載していただきました。
また、朝日新聞にて押切もえさん、共同通信で盛田隆二さん、読売新聞で長田育恵さんの書評が掲載されました。
どれも作者本人がハッとする示唆に富んだ書評で、とてもありがたかったです。
みんなに力をもらってる。
後手後手で、すでに手に入らない媒体もありますが(ごめんなさい)、届いています。
本当に本当に嬉しいです。
「ダ・ヴィンチ」にて、河村道子さんにインタビューしていただきました。
河村さんとは、長いおつきあいです。いつものように、真摯に読み込んできてくださって、本当に感謝です。
写真は、バンクーバー在住の山崎智世さんにお願いしました。素敵な写真をありがとう。
「読売中高生新聞」「朝日新聞」にも、丁寧なインタビューを掲載していただきました。
また、朝日新聞にて押切もえさん、共同通信で盛田隆二さん、読売新聞で長田育恵さんの書評が掲載されました。
どれも作者本人がハッとする示唆に富んだ書評で、とてもありがたかったです。
みんなに力をもらってる。
サワー・ハート
読む前に覚悟しないといけないと思っていた、だってミランダ・ジュライもそう言ってたのもの!
でも、私の覚悟なんてコンナゴンナ(粉々)に砕け散った、この小説は強い、強すぎて、触れれば手を切るし、近づけば皮膚を火傷するし、離れていたって強烈ににおってくる。これが普通に本屋さんに並んでいる、ことが信じられない。しれっと「本」の顔をして、静かに存在しているけれど、あなたは爆薬やん。
この世界で自由になるなんて無理だった。
この世界で自由になるなんて無理だった。
この世界で自由になるなんて、本当に無理だった。
でも、私の覚悟なんてコンナゴンナ(粉々)に砕け散った、この小説は強い、強すぎて、触れれば手を切るし、近づけば皮膚を火傷するし、離れていたって強烈ににおってくる。これが普通に本屋さんに並んでいる、ことが信じられない。しれっと「本」の顔をして、静かに存在しているけれど、あなたは爆薬やん。
この世界で自由になるなんて無理だった。
この世界で自由になるなんて無理だった。
この世界で自由になるなんて、本当に無理だった。
2021年12月30日
Hunger A memoir of (My) Body
Roxane gayによる、痛みを伴うメモワール。
アメリカという国でマイノリティの少女として生きること、「安全な場所」を見つけるために食べ続けること、結果手に入れた体と共に生きること。
ボディ・ポジティブという言葉が聞かれるようになったこの世界で、それでも特定の身体に対する暴力は止まない。
その暴力には「善意のアドバイス」も含まれるし、無意識で向けている視線も含まれる。
私たちに誰かの身体を、そして誰かの人生をジャッジする権利はない。
その人の身体は、その人の人生は、その人だけのものなのだ。
「私の身体について語ることは、恥について語ることだ。
自身の見た目を恥じること、弱い自分を恥じること、自分の力で身体を変えられるとわかっていながら、それでもなお、変えられないという恥について。」
アメリカという国でマイノリティの少女として生きること、「安全な場所」を見つけるために食べ続けること、結果手に入れた体と共に生きること。
ボディ・ポジティブという言葉が聞かれるようになったこの世界で、それでも特定の身体に対する暴力は止まない。
その暴力には「善意のアドバイス」も含まれるし、無意識で向けている視線も含まれる。
私たちに誰かの身体を、そして誰かの人生をジャッジする権利はない。
その人の身体は、その人の人生は、その人だけのものなのだ。
「私の身体について語ることは、恥について語ることだ。
自身の見た目を恥じること、弱い自分を恥じること、自分の力で身体を変えられるとわかっていながら、それでもなお、変えられないという恥について。」