2024年01月16日

人類の深奥に秘められた記憶

モアメド・ムブガル・サール「人類の深奥に秘められた記憶」
読む前から予感はしていたけれど、目眩が!
目眩の原因は多分渦だった、主人公ジェガーヌが巻き込まれる渦。
失われたものと得たもの、手放したものと手を伸ばすもの、歴史を作るものと歴史から忘れられたもの、憎しみと愛と、それから命そのものが、ぐるぐると渦を巻いて気づいたら新しい場所にいました。

「われわれは別の人間になるだろう。われわれの文化は打撃を受けた。トゲが肉に食い込んでしまって、抜けば死んでしまう。」

2024年02月01日

優しい暴力の時代 

チョン・イヒョン「優しい暴力の時代」の解説を書かせていただきました。
単行本で読んだ時から、透明で小さな棘がずっと胸の中に刺さっているような、そんな感覚がありました。
素晴らしい作品に関わることが出来て、とても光栄です。

翻訳者の斎藤真理子さんとくぼたのぞみさんの共著「曇る眼鏡を吹きながら」も、本当に素晴らしかったです。
私の曇った感性のレンズをクリアにしてくれる言葉たち。
クリアになった瞳をなるべく維持しながら、世界を見つめてゆきたいです。

「くもをさがす」で、読売文学賞の随筆・紀行賞をいただきました。
私の瞳をいつもクリアにしてくれる文学たちのおかげです。改めて感謝します。

2024年02月06日

ハーレム・シャッフル

新作を見つけたら買わない選択肢は絶対にない、そしてすぐに読み始めない選択肢はない作家が数人いる私はもちろん幸せだ。コルソン・ホワイトヘッドの「ハーレム・シャッフル」は、私を異世界に連れてゆき、かき回し、鮮やかなやり方で着地させてくれる。それも、うんと新しくて眩しい場所に。
藤井光さんの後書きで、「ハーレム三部作」の構想が明かされた、と知って、しばらくそれを楽しみに生きてゆけるやん、やっぱり私はとても幸せだ、と思った。

「痛みがあるということは、痛いのだろう。きつさにも、耐えられるものと耐えられないものがある。少しばかりつまんで、分け前にあずかるわけだ。」

2024年02月13日

戦争語彙集

オスタップ・スリヴィンスキー作、ロバート・キャンベル訳著の「戦争語彙集」を読みました。
「言葉とは何か」に様々に挑んできた姿勢に対しての、ひとつのアンサーであり、さらなる問いかけのように思います。

「圧倒的な暴力を前にして、たしかに言葉は無力かもしれません。でも言葉の力とは、そのような状況にのみ限定して考えられるべきものではないはずです。(中略)柔軟でありつつも強固であり、優しくもあり厳しくもある、限りない多面性を備えていることこそが、言葉の力ではないでしょうか。」

改めてロシアのウクライナ侵攻と、イスラエル政府によるガザへの攻撃に反対します。

2024年02月16日

暗闇に戯れて

『暗闇に戯れて 白さと文学的想像力』は、1990年、「ハーヴァード大学で行われた3回のウィリアム・E・マッシー・シニア講義で生じた疑問の探求の結果であり、なおかつ私のアメリカ文学に関する授業の土台でもある」とトニ・モリスンが「はじめに」で語っている。
スルスルと読む、というような行為を、モリスンの知性は私に許してくれなかった。何度も振り返り、咀嚼し、調べ、噛み締めるようにして読むことでやっと、本当にやっと、少しだけ彼女の言わんとすることに近づく、そのような時間だった。
都甲幸治さんの解説が、その時間の大きな手助けをしてくれた。もちろんその時間は尊く、私の身体には、いつもモリスン作品を読んだら手渡される何か強いものが残った。

「書くことと読むことは、書き手にとってそこまで別々のものではありません。どちらにおいても、説明のつかない美しさや、作家の想像力にある複雑さや単純な優美さ、そしてその想像力が生み出す世界に敏感で、心の準備ができている必要があります。(中略)書くことと読むことはどちらも、危険と安全に関する書き手の考えや、意味と責任に関する穏やかな達成、あるいはそれらを求める汗だくの戦いに気づくことを意味します。」