2024年04月15日

トランスジェンダー入門

周司あきらさん、高井ゆと里さんの共著、
お二人がこれを書いてくださったこと、書かなければならなかったこと、
ここに書かれた、そして書かれなかった彼ら、彼女ら、そして彼ら彼女らでもない方達のこと、
たくさんの「たった一人の自分」が、「たった一つの自分だけの人生」を歩むことができないこと、
自分が無知であったこと、自分が当然のように「普通」側に立っていたこと、
そして今もそうで、誰かを傷つけながら生きていること。
あらゆることを同時に、複雑に、そして途絶えることなく考え続けます。

「書き手である私たちは、そのことを知っています。シスの人でも分かるような、読みやすく、整頓された文章を書けば、みんな読んでくれると信じています。だから、私たちはこの本を書きました。しかし同時に、私たちは知っています。こうして分かりやすく平易にまとめた文章ではない、トランスたちの雑多でカラフルで、苦痛に満ちたリアルな声は、やっぱり無視されるのだと、知っています。あなたのもとに届いている「トランスの声」には、すでに偏りがあります。この本を書く私たちは、そのことも知っておいてほしいと思っています。」

2024年04月21日

あきらめる

山崎ナオコーラさん「あきらめる」刊行記念のトークイベントにいらした皆様、体調不良による欠席という残念な結果になってしまい、本当に申し訳ありませんでした。(みなさん、体調崩されていませんか? 気温の変化が辛すぎる)
ナオコーラさん、小林エリカさんとお話し出来るという最高の機会を逃して、ベッドの上で悶絶しておりました。
素晴らしい書き手のお二人と同時代を一緒にいれること、デビュー当時から今もずっと幸福に思っています。
また絶対に、絶対に三人で集まってお話しさせてもらいたいです。

「友情は流れるからね。流れを楽しむんだよ。ああ、流れていってるな、って、流れるのを見ていればいいんだよ。いいか、仲間は作るな。仲間を作ったら、必ず仲間外れが始まる。グループや仲間を作らずに、友情を作れ。」

流れてゆく友情を抱きしめながら生きてゆきます。痺れるわほんま。
蟹ブックスにも近いうち伺います!

「彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!」で、また一貫して「絶対に忘れない」姿勢を表明してくださった小林エリカさんの二人展が六本木で開催されています。
https://www.yutakakikutakegallery.com/en/exhibitions/erika-kobayashi-hannah-quinlan-rosie-hastings/
この絵、この絵は、絶対に実物を見てください。
触れるのを我慢するのが大変でした、触っていないのに、指先が熱くなりました。


2024年05月14日

別れを告げない

ハン・ガン「別れを告げない」
済州島で起こった4月3日の悲劇を私は知らずにいて、それはもちろん私の無知もあるのだけど、長らく政府によって隠蔽されていたからでもあったのだった。ハン・ガンは「なかったこと」にされた歴史を、人々を、その声を、その命を、切実な(実際の)痛みと共に書く。「別れを告げない」とは、「哀悼を終わらせない」という意味だという。哀悼は終わらない。その痛みを丸ごと引き受け、その痛みの記憶を永遠に引き継いでゆく。

「私がいることに気づいて母さんは振り向き、黙って笑いながら私の頬を手のひらで撫でたんだ。続けて、後ろ頭も、肩も、背中も撫でてくれた。重たい、切ない愛が肌を伝って染み込んできたのを覚えてる。骨髄に染み、心臓が縮むような・・・・そのときわかったの。愛がどれほど恐ろしい苦痛かということが。」

2024年05月29日

私の身体を生きる

文藝春秋社から、「私の身体を生きる」発売中です。
私も寄稿させていただいています。
17人の書き手が自らの「身体」と向き合って記す、生きるためのリレーエッセイ、とありますが、本当にその通りだなと感じています。初回の島本理生さんのエッセイが凄まじく、それでこのエッセイ集の向かう場所が決まったように思います。私も、今まで書いていなかったことを書きましたし、改めて皆さんの文章を読み返すと、みなさんの身体から発した声が聞こえます。
たくさんの方に読んでほしいです。
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163918488

2024年09月18日

母と娘

夏2回来てますよね?
自律神経が乱れに乱れております。
あれだけ大好きだった、待ちきれなかった夏のことが嫌いになってしまいました。
とても悲しいです。

ミシェル・ザウナー『Hマートで泣きながら』
母との記憶、母との記録。
著者が韓国料理に没頭することは間違いなく母と、そして母の持つ歴史と繋がる大切な時間で、その時間が著者にとってどれほど救いになっただろう。今日もHマートには、きっと彼女のような人がいて、静かに泣いているのだろう。

「愛する人々のなかで鼓動を続ける愛情が、母の芸術だった。一曲の歌や一冊の本に負けない世界への贈り物だった。愛も芸術も、どちらか一方だけでは存在できない。もしかするとわたしはただ、この世に残された母のかけらは自分だけなんじゃないかと思い、そのことにおびえていたのかもしれない。

デボラ・レヴィ『ホットミルク』
ミシェル・ザウナーが母との繋がりを懸命に保存しようとしていたのに対して、『ホットミルク』の主人公ソフィアはその繋がりをおそらく呪いと捉えている。呪われてはいるが純粋に呪われてはいなくて、まるで抱きしめながら切り刻まれているような母との関係は、彼女にある景色を見せる。呪われている者にしか見えない美しい景色だ。

「私は交換の規則を破った。彼女は与え、私は受け取ったのに、私はお礼をしなかった。
 愛のようなプレゼントが、無償なわけがない。」