2015年11月16日

パリ

苦しいニュースが続いていて、
でもお腹は空くし眠たくなるし、
何があっても自分の日常がしゅくしゅくと続いてゆくことが、
やっぱりどうしても奇跡に思える。

fity stormsに掲載されているエッセイの日本語原文を、
抜粋修正してここに掲載します。ちょっと長いです。
これを書いたのは年明けでした。
その頃のパリは、その頃のシリアはどうだったのだろう。
私は世界のことをきちんと知ろうとしていたのだろうか。
今思うように、この日常を奇跡だと思えていたのだろうか。


私はテヘランで産まれ、カイロで育った。1977年に産まれ、1979年には革命が起こって帰国したので、テヘランのことは覚えていない。だが、カイロにいたのは7歳から11歳の多感な時期であったから、そのときの体験は強烈なものとして私の中にある。

 カイロ、と聞いて真っ先に思い出すのはアザーンだ。人々を祈りに誘うその声は、歌のようにも聞こえたし、泣き声のようにも、誰かを慰める声のようにも聞こえた。言葉をまったく理解出来なかったからこそ尚更、その声の奥にある切実さやまっすぐな想いは、私の心に届いた。

アザーンが聞こえると、人々はどこであろうとサッジャーダと呼ばれる礼拝用のカーペットを敷き、それを持たないものは地面に直接ひざまづいて祈りを捧げた。祈りとは教会で、または神社で、つまりなんらかの決められた場所でするものだと思っていたから、彼らのやり方に私は驚いた。祈り終えると彼らはなめらかに自分たちの日常に戻った。祈りと日常の間に境がなかった。「一応仏教徒」である私が初めて触れた信仰は、とても美しかった。

 私が住んでいたフラットのボアーブ(門番)も、敬虔なイスラム教徒だった。年老いた男性で、すごく太っていて、いつも顔をくちゃくちゃにして笑った。多くのエジプシャンと同じように子供が大好きで、だから私のことをとてもかわいがってくれた。フラットの前に置いてある椅子に座り、お茶を飲み、私の姿を見かけると、必ず手を振った。

私は彼が祈っている姿を、何度も見たことがあった。彼は時間になると熱心に祈り、そして祈り終えると、なめらかに彼の日常に戻った。お茶を飲み、私に手を振り、そしてあの笑顔を見せた。その姿は他の信徒と同じように美しく、私をいつも感動させた。もちろん、私は彼のことが大好きだった。

 クリスマスの朝のことだ。彼はフラットを出た私に、メリークリスマス、と声をかけてくれた。私も「メリークリスマス」と返した。家に帰って家族にその話をすると、両親は「イスラム教徒なのにね」と言って笑った。両親も彼のことが大好きだった。私たちはエジプト人が好むいささか甘すぎるケーキを食べ、クリスマスを祝った。私たちも仏教徒なのに、とは、誰も言わなかった。

 カイロにいた数年間、私は様々なイスラム教徒に出逢った。彼らは一様に敬虔だったが、その敬虔さによって自分が疎外されていると感じることは一度もなかった。ただの一度もだ。

 それはひとえに、彼らの柔らかさによってではなかったか、そう思う。

 彼らの信仰は強かった。彼らはイスラム教という強い枠の中にいた。だが彼らはその枠を使って我々を排除することはしなかった。彼らの枠は強かったが、とても柔らかかった。彼らは「異教徒」である私と交わろうとしてくれた。

メリークリスマス、と優しく言ってくれた彼の柔らかさは、彼のためではなく、私のために、つまり他者のためにあった。そしてそのことで、彼の信仰はきっと揺るがなかっただろうし、彼らの神を冒涜したことにもならなかったはずだ。それどころか、他者を思うその気持ちこそ、彼らの神が彼らに教えたことなのではなかったか。


我々は枠の中にいる。例えば国、例えば性別、例えば宗教。

そもそも私たちの体それ自体も枠だ。我々は枠からは逃れられない。でも、その枠を柔らかくすることは出来るはずだ。他者のために形を変え、寄り添うことが出来るはずなのだ。

 今ISは、欧米列強が作った枠を壊そうとしている。だがその枠を壊したところで、彼らはまた強固な枠を作る。それは鋭利で、硬質で、枠外にいる者を徹底的に排除し、傷つけ、殲滅する。彼らは硬い。とにかく硬いのだ。それはきっと、他者と交わる勇気を持たない人間の硬さだ。

 世界は曲線で出来ている。

思えば直線で出来ているものは、すべて人間が作った。頑丈なビルや道路、中東やアフリカに存在する定規で引かれたような国境。人間それ自体が曲線で出来ているというのに。

メリークリスマスと言い合ったあの瞬間、私たちは「イスラム教徒」でもなく、「仏教徒」でもなく、「キリスト教徒」でもなかった。もしかしたら「エジプシャン」でも「日本人」でも、「男」でも「女」でもなかったのかもしれない。我々は曲線で出来た人間同士として、「 」から離れ、あの柔らかな場所にいたのだ。私はその瞬間を忘れることが出来ないし、絶対に忘れたくない。他者のために柔らかさを選ぶ勇気を手放さないでいたい。



2015年11月19日

きみはうみ

絵本の発売です!!!!!!!!
ああ、なんて嬉しい・・・。
SWITCHパブリッシングから、絵本!
「きみはうみ」が発売されます!!!!!!
絵本やでー、何度も言うけど、絵本やでー!!
小説はもちろん嬉しいけれど、絵本は格別な嬉しさがあります。
今いる場所を愛すること、自身の美しさに気づくこと。
小説でも書いていることですが、それを絵、絵、絵にこめました。
皆さまどうぞどうぞどうぞ出逢ってやってください!!!

発売に伴いまして、東京、大阪でサイン会を開催させていただきます!
まずは大阪、11月29日(日)13時から、
場所は紀伊国屋グランフロント店です!
詳細はこちら。

東京は12月12日(土)14時から、
場所は紀伊国屋西武渋谷店です!
詳細はこちら。

皆さんにお会いできること、心から、心から楽しみにしています。
どちらもサイン会だけです。
(27日(金)は虎ノ門LOUNGE、小宮山雄飛さんとのトークやでー!

雑誌「SWITCH」12月号にて、
戌井昭人さんとお話させていただいています!
SWITCH INTERVIEW!
戌井さんおもろかったー。あっという間の数時間でした。
写真は浅田政志さんが撮ってくれました。
「浅田家」すきやから嬉しかった!

WEBマガジンパリマグでも、インタビューを掲載していただいています!
「まにまに」のこと、「きみはうみ」のこと。

嬉し忙し年の瀬や!
この奇跡の瞬間瞬間を、味なくなるまで噛み倒すぜ!

2015年11月21日

愛のようだ

傑作「問いのない答え」以来、
皆さん熱望していた長嶋有さんの最新作、
「愛のようだ」が発売されました。
発売記念トークショウのお相手をさせていただきます!!
12月10日(木)18時半から、丸善ジュンク堂渋谷店にて!
以下詳細です。
いろいろなことを話したくてわくわくしております。
みなさまふるってお越しください!!

愛を全身全霊でくらったような体験をしました。
書きたくて仕方ないよ、力をもらったよ。
天龍源一郎さんの引退試合が素晴らしかった。
もっともっと強くなりたいと思った。
低空ドロップキックを何度も食らっていらっしゃる姿。
「負けたー!」の咆哮。
オカダ選手のお辞儀。
絶対に忘れないぞ。忘れないぞ。


2015年11月24日

あまりに非現実

さささささ「さんまのまんま」に出演させていただきます!!
こう書いててあまりの非現実ぶりに笑いが止まらへんで!
だって私が8歳のときからある番組なんやで?
関西は11月28日の放送、関東は12月13日の放送です!!
さんまさん最高やった、
生きてるだけですごんやとほんまに思った。
えげつないくらいかっこよかった。

「&Premium」1月号、
連載「会ったらこんな人だった」今回は小林聡美さんです!!
んもう、んもう、小林さんほんまに素敵でした!
画面からみるままの透明感。はあ・・・。
素敵な人にばっかり会わせてもろて、来世どないなるのやろか。
この連載まじ最高や。

「きらら」12月号表紙は、滝です!
あまりに自由に描かせてもらえるのでちょっと不安になるほどだぜ!
本当に楽しい。滝ってふしぎ、滝ってうつくし。

しかも今夜は毎年やらせてもらってる楽しい仕事やで!
昨日うまれて初めて見たデスマッチに脳みそをぐしゃっとやられて、
ほんまにぐしゃっとやられて、まだ脳みそがリセットされていなくて、
だからきっとそのどわどわの余韻で楽しむのだろう私、楽しむがよい私。

2015年11月27日

IWGPみたいに書かせてね、WOTY!

VOGUE Women of the Year2015に
選出していただきました!!!!!!!
憧れの・・・毎年うっとり見ていたあの・・・WOTY!!
こんな素晴らしい賞の栄誉に預かれること、本当に本当に幸せです。
昨日は授賞式!お着物で参加させていただきました。
着物のつる柄に合わせて、
銀線細工作家の松原智仁さんのピアスをつけさせてもらいました。
松原さんのホームページです。
繊細で、本当に素敵。

受賞者の皆さん本当に素敵で、気さくで、
恰好よくて、そんな中にいることが出来て、まるで夢やった。
ご褒美としか言えない瞬間ばかりいただいて、
これから執筆頑張らんわけにいかんやろ。
というわけで今書いています。あんな華やかな場所に比べて、
わが仕事部屋は、なんと静かなことだろう。

いうてかたわらにはVOGUE1月号。
小浪次郎さんによる受賞者のフォトシューティングが掲載されています。
私も撮ってもろたよ!
ときおりちら見てはほくそ笑み、滞る執筆、あかんな年内。
わしゃ俗物やな。
しかし俗物なりの物語を書くぞ。