8月末からの私の脳みその開きっぷりはすごくて、
それもこれもみんな信頼できる表現者の方たちのおかげなのやけど、
まずハイバイの「夫婦」、は、もう、ずっと苦しくて、怖くって、奇妙で、
どのシーンも全てもちろん必要でふに落ちて、最後はやっぱり笑いながら泣きました。
その人は一人やけど、その人の「思われ方」や「振る舞い」はひとつじゃないということ、
つまり人間は多面的だということが、役者さんが様々な役をやることそれ自体で体感できたし、
身内の人間、特に「お父さん」とか「お母さん」という「 」に入れてた人間が、
私たちと同じように生きて息をして恋をして誰かをめためたに傷つけて疲弊して怖がって後悔して、
ということに驚いたあの瞬間をすごく強烈なやり方で思い知った。
ガンびらきの脳で丸藤正道20周年興行「飛翔」へ、丸藤、丸藤、丸藤!
一緒に行ったノア極ファンの友人は丸藤とヒデオが向かい合っただけで号泣していた、そしてそんな人がいっぱいいた。
会場の雰囲気を全部持って行ったイケメン二郎もすごいし、立ってるだけでおそろしい秋山もすごいし、
愛を叫んでいた男色ディーノもすごい、プロレスこそダイヴァーシティ、犬種より豊富やない?
私はディーノにサインしてもろた、ぎゃあ!カマシ以来のサイン、なにこれ!宝物が二つ!
いよいよあかん、ちょっと落ち着いたろかしら、と思っていたところ急遽見に行った、
見に、行って、しまった、ELEVEN PLAYの「discrete figures」!!!!
「!」がいくつあっても足りないくらいの衝撃体験やった、大げさではなく人生が変わった。
「身体表現と数学という行為、そして数学によって生み出された身体と生身の身体の関わりについて描いたダンス作品である」
と、真鍋大度さんが仰っている、AI、機械学習を通じた、未知のダンス表現への挑戦、である舞台、ということで、
正直ワクワク半分緊張半分で、それというのも、私はAIとかそれにまつわる発達を「こわい」と思っていて、
どうして「こわい」のか理由も説明出来ひんくせに「ほら、あれよ、人は生身の人間とぶつかり合ってこその、あれよ!」
みたいな、説得力も愛もないことを言って白目で口笛を吹いていたような輩で、
でもあの日みた舞台は、そんな私の白目をしっかり黒目にしてくれためっちゃ泣いた。
それはもう美しい、美しい、愛に溢れた景色だった。
生身とメタリックは対立しないし、命とテクノロジーも対立しないし、アナログとデジタルも対立しない。
対立するんやないのん?と思う気持ちが対立を生んでいるだけで、
創作に関する真摯な気持ちと愛、愛があればなにも対立しない、全てが共存共生できる。絶対に出来ると泣きながら思った。
だってそれを今目の前で見てる!
なんかもう、マクロとミクロが同じ場所にある、誰かの(きっとMIKIKOさんの?そして大度さんの?それとも他の誰かの?)体内を見ている、生まれる瞬間を見ている、
その気持ちが曼荼羅みたいで経典みたいで、そうやねもう宗教体験のようだった。
こんなに美しい気持ちをくれた。
そういえば数学者の方や数学科出身の方にお会いしたら、みんな口を揃えて「美しさに惹かれた」と仰っていたっけ。
美しいものを全力で差し出してくれる人は尊い。本当にすごい。
私はこの気持ちを一生忘れない。